市内の

中段のあるお宅から依頼がありました。
相模原は上段、中段そして下段の、三相に分かれています。新たに市に加わった津久井4町はその例外ですが。
見積もり金額を聞いて、取りやめに。
「ただで持って行って貰えるものは無いの?」と。
「あんたのゴミがただで片付くと思うのかよ?」と言ってやりたいのをじっと我慢をして、ニコニコして帰ってきましたが・・・・
このゴミ屋敷野郎が・・・

赤帽の

赤帽の方から依頼のあったゴミ屋敷の見積もりに行ってきました。
家電三品目、家具類、数点の健康器具など。
健康器具を使っていても、死ぬときは簡単に死んでしまうんだよね。
運動が大嫌いなゴミ屋敷片付けのおじいさんは、やはりそんなに長くは生きられないだろうと、思っている今日この頃。

今日の今日

今日10時ごろ、コンテナー倉庫に収納してあるものを処理したいとの電話が。
娘さんが一人暮らしをしていたときの家電品や家具を収納していたとのこと。
若い衆は横浜市内の引越しに行ってしまっているので私が現場へ。段ボール箱入りのわずかなものだけ自宅に持ち帰るので、残ったものをすべて処理してほしいとのこと。
製造年式から言って、生かせるぎりぎりのものばかりで、しかも2階のコンテナーであったので、数千円をいただき廃棄にする方向で話が決まり、回収して戻る。

見解の相違

ゴミ屋敷の住人は部屋の中を素足で歩くととんでもない怪我をしてしまったり、ゴキブリを素足で踏んでしまったり、腐った食べ物をグチャッと踏んでしまったりというような事態に対して、まったくなんとも思っていないようだ。
少なくとも私たちはゴミ屋敷へ素足で踏み込もうとは思わないし、むしろゴム長靴で入りたいのだ。
道路に仰向けに寝るのは抵抗が無いが、ゴミ屋敷という部屋の中では横になろうなんて、考えてもいない。

五時前に

人に働いてもらうときには自分が早起きしなければならない。
今朝は五時前に起きてしまった。昨日依頼のあった引越しに若い者が二人で出向くためだ。
前日にトラックに必要な備品すべてを積載し、出勤してきたらすぐに出発できるように支度をしておいた。
ゴミ屋敷片付けのときは、箒、箕、熊手、ゴミ袋、工具類など、は必須。

今朝突然に

女性の声で電話があり、「これからすぐに引越しが出来るか?」と。
話の様子ではゴミ屋敷ではなさそう。
従業員が休みの上、アルバイトも捕まらず、「とりあえず段ボール箱をお持ちします」といい、現地へ。
横浜市都筑区の某所。分譲住宅地の中の一軒で、室内も綺麗。猫と犬が同居をしていた。
ごみ処理を含め、明朝一番で作業を約束し、東名に。

JAFニュース

JAFニュースの5月号に尻こすり坂の看板を写したものが掲載されていました。
そう、横須賀市のごみ焼却場のある、あの坂です。
通常ゴミ屋敷のゴミは、一般廃棄物でありながら、一般廃棄物収集運搬業の許可を持った業者が、代行して焼却施設に搬入することは出来ないのです。
かといってそれらを放置することも出来ず、物によっては産業廃棄物として処理することも多いのです。
現代ではゴミ屋敷はどこの自治体にも存在する事実ですが、行政サービスからは浮いてしまっている廃棄物なのです。
ゴミ屋敷とは、現代社会の忘れ物でもあるのでしょうか。 

夜遅く

日頃のゴミ屋敷片づけで疲れきった体を、マッサージチェアーに横たえていたところへ電話が。
板橋区の一階の部屋の不用品をこれから片付けに来てくれとのこと。
従業員も体調の不良で休んでおり、ましてアルバイトもこの時間から手配は出来ず、「明日朝一では?」と。
依頼人は、「建物のオーナーと相談して返事をする」とのことで、電話を切った。
ゴミ屋敷はどうなったのだろうか?

五月六日の

知人の赤帽運送の方からお客さんのうちのゴミ片付けの見積もりに行って欲しいとの電話が。
某王手生命保険会社の寮だとか。
6日に見積もりをして、日を改めて作業のようです。
話の内容からしてゴミ屋敷っぽいような気がしますが・・・・

ゴミ屋敷

メーデーも昔のようにほとんどの労働者がデモ行進をするような時代ではなくなってしまったらしい。
私が山水電気に在勤した頃(昭和30年代後期)は今のようにふがいの無い労働組は少ない時代で、杉並区労協などの活動も活発だった。
労働者が労働者意識を持っていた時代であった。
今日は久しぶりにゴミ屋敷を忘れ、愛車メルセデスのSLKで、ドライブを楽しもうと思っている。
かといって、ゴミ屋敷の片付け依頼が無いのも寂しい老人でもあるが・・・・