五時に若い衆は栃木県へ。
一軒目は宇都宮市内のお宅で不要品片付け。
終わり次第、下野市へ飛ぶことになっている。
下野では一人住まいの老人のお宅の丸々片づけだ。
なんでもお父さんが施設へ入るので、今の住まいを空にしたいと、娘さんからの依頼。
一方別働隊は12時に相模原市内桜台で常連のお客さんの家の不要な家具類の処分をおおせつかっている。
今月は前半があまりぱっとしなかったが、後半盛り返し、何とか従業員のお給料が確保でき、ほっとしている。
自分は一銭も取れなくても、従業員だけは食わせてやらなくてはならないので、後半の盛り返しは、実にありがたい。
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杉並区西荻窪へ
今日は仕事を離れ、家内が子供の頃住んでいたという杉並の西荻窪と、世田谷区の豪徳寺へ出かけた。
家内は父親の仕事の関係で何度か住まいを変えていた。特に印象に残っているのが西荻窪だと言うことで、引っ越してから60年余年経った西荻窪へ連れて行ってあげた。中でも神明中学校で同級生だった菊屋さんという酒屋の娘さんに会いたかったようだ。
中学校の周りで、記憶を呼び戻し、その同級生のお宅を訪ねたが、酒屋さんはあったが、その子(当然生きておられても家内の同級生だからおばあさんだが)の弟さんが現在は社長さんとしてやっておられ、お会いしたのだが、すでに彼女は15年近く前に他界してしまったと聞かされ、家内はがっかりしてしまったようだ。
その後気を取り戻し、その後移り住んだ豪徳寺に向かった。しかし彼女の住んでいた場所が思い出せず、帰路についた。
60年近い空白は、思い出の場所さえ見つからないまでに変わってしまったようだ。
家内は時々そのお嬢さんのことを口にしていたのだが、中々再会する機会がないまま今日までたってしまった。
こんなことならもっと早く家内をせきたてて、連れて行ってやればよかった!と、後悔する老人であった。
皆さんも思い立ったらすぐ、旧友を訪ねるが良いだろう。
今日もまた
朝一番で相模原市内の物置の倒壊したものを処分して!と言う救援コールに対応させていただいた。
お父さんが一人住まいをしている家の庭の物置が、やはり今回の台風で倒壊したとのこと。
八王子にお住まいの息子さんからのご依頼だった。
現場で見積をさせていただき、ご了承をいただけたので、すぐ作業に入った。
作業終了後、庭にあった植木鉢などもこの際片付けて欲しいとのことで、それもお引き受けした。
午後は宇都宮からの何本もの電話で、嬉しい悲鳴を上げてしまった老人である。
常連のお客様
この春先、東京都町田市鶴川のネズミーランドの片づけをやったことは以前ブログに書いたのだが、
今日再び作業のために呼ばれていった。
そのお宅はグランドピアにが1台、アップライトピアノが3台もある豪邸だが、ゴミも驚くほどた
っぷりあった。
今日は二人で6時間ほどの作業だった。
以前片付けたところが再びゴミ部屋になっているのを片付け、冷蔵庫2台の中身を取り出し、庫内を
清掃すると言うもの。
ドアーが閉まらないほど物が詰まってしまっていて、それを取り出すのに一苦労した。
食材を全部取り出して唖然とした。
庫内はべとべとで、これなら捨てたほうが良かったんじゃないの?と言う状態。
むしろゴミのとりまとめより、長い時間を冷蔵庫の清掃に費やしてしまった。
風吹いて桶屋儲かるの図
このたびの台風被害はここ関東南部地方でもかなりの数に上ったようだ。
毎日倒れた物置の建て直しをして欲しいと言う電話が来る。
スチール製の物置の場合、中に相当重いものを入れておかないと、風で倒れることが良くわかった。
たとえば金塊500キロ、札束10億円などだ。
文字通り風吹いて・・・・・・
富士六湖(富士6湖)
河口湖町に富士六湖がしゅつげん!と言うニュースが流れた。
今までにも富士山北麓では大雨などの後、限られた期間、伏流水などが噴出した結果、小さな水溜りが出来ることは話題になっていたが、あまりニュースとしては取り上げられてこなかった。
私は40年近く現在の富士河口湖町勝山(旧勝山村)に滞在することが多かったが、残念ながらその出現を見ることはなかった。
富士六湖とも富士七湖とも言われ、実際にはもっとあるのかもしれない。
今回話題になっている六番目の湖、赤池は精進湖の南東にあり、国道139号線から観ることが出来る。
少年時代を過ごした東京都南多摩群鶴川村野津田字暖沢でも、大雨の後、時々滝が出現することもあった。また谷戸田の奥の土手際の草の上に乗るとトランポリンのようになる場所があったり、普段は聞こえないごうごうと言う地下水の音を聞くこともあった。
富士六湖の出現は、観光客に新たな見所を与えているようだ。
大成功
人妻の夜逃げを成功させました。
ろくでもない亭主がいたために病気になってしまった人妻を上手く逃がすことに成功したと言うお話。
入念に計画を立て、いつも家に居てゴロゴロしている亭主が出かけた僅かな隙に、彼女の身の回りの品を三人がかりでトラックに積み込んで、彼女共々新しく用意したアパートへ運び込みました。
出かけた!と言う第一報で我々はすぐ出られるように待機。第二報でいつも車を停めている場所から車が無くなっていると言うことで、全速力で現場へ赴き、荷物を積み込み全速力で現場を離れたのです。
人間にはいろいろな問題がありますが、駄目な亭主ほど始末に終えないものはないものです。
この話題については、後日詳報を掲載したいと思っています。
実は
実は20日にごみ屋敷の薫煙作業を行っていた。
一回目に7~8個、二時間ほど置いて5~6個の薫煙を行った。薫煙なしでは作業が出来ないほどの量のゴキブリが発生しているとのことで、下準備という算段だった。
そして今日、二日目のごみ屋敷解決大作戦が始まった。ほぼ昨日と同量の飲み残しの飲料水が入ったペットボトルや生ゴミ、家具類の搬出だった。
今日も8人で作業にあたり、日没までにすべての作業が終了した。
これと平行して、今度の台風による物置小屋の倒壊の修復が数件、いつもながらの一般廃棄物の収集などが重なって、人材のやりくりに四苦八苦だった。
明日は明日で複数のご依頼をこなしながら、二日分の膨大な量のゴミの分別が待っている。
嬉しいような、悲しいような・・・・・
一方
一方若い衆は昨日から始まった湘南地方の巨大ごみ屋敷に8人がかりで取り組んでいた。
前前日の膨大な量のゴキブリ用の薫煙剤の効果があり、這い出すゴキブリの量は、下見のときより幾分緩和されたと言っていたが、そこはごみ屋敷。一般人の想像をはるかに超える状態に違いはない。
6時に事務所を出た彼らは、20時ごろ解散したそうだ。それでも全量の半分強を片付けた段階だったような。
連日爆走で超疲れ気味
昨日は私は朝8時に家を出て宇都宮へ向かった。一軒目の約束は12時10分だったので、かなり時間が余るだろうなと思いつつ国道16号線に入ったが、それは大きな誤算だった。矢口の立体を降りたところで、すでに数珠繋ぎではないか。裏道を選んだが、そこも大渋滞。東名に乗るまで2時間近くを費やしてしまった。横浜インターを入ってやれやれと思ったら、合流して間もなくここも止まってしまっているではないか。結局12時半過ぎにやっとお客さんのところへ。往きは4時間半かかった。
2軒目の片付けは、お客さんが3時に凝られると言うのだが、昼ごろ新たに鹿沼で片づけが入ったので、早く済ませたく思い、お客さんに電話をしたところ、「今、千葉からそちらへ向かっているので3時でなければ困る」とのこと。しかし片付けたいものが全て建物の外にあると聞いて、「それでは責任を持って片付けますので、後日処理料金を振り込んでください」とのことで合意。この件は早く片付いて次の鹿沼の現場へ。到着すると間もなく、土砂降りになり、作業が終わる頃には乾いたところがない常態で、終了後パンツからズボン、シャツまで総取替えをして現場を後にした。履き替えの靴下を履く前に、コンビニに寄り食料を購入し、ついでにポリ袋を2枚もらい、履き替えた靴下の上を覆い、靴を履くことで、足がぬれないことを実証し、鹿沼インターに入った。
首都高速に入るとすでに渋滞が始まり、池袋線に入ったとたん、前は全然動かなくなった。結局帰り着いたのは10時だった。
帰りは実に6時間もかかってしまった。途中で聞いたラジオの渋滞情報ではお姉さんが「まれに見る渋滞」といっていたほどの凄さだった。