割に合わない仕事だった

横浜中区のごみ屋敷はやめときゃ良かった状態の仕事になってしまった。
棟の昇降口まで自動車を乗り入れるための時間制限があり、しかも4台のトラックの駐車料金2000円を徴収された。エレベーターのドアーに傷をつけたとイチャモンがつき、後日修正業者を派遣して修理する結果に。
しかも長年踏み固められてゴミの量がほだてた結果、膨大な量に膨れ上がり、結局明日に食い込んでしまった。今日は8人でかかり、朝6時半に会社を出て、戻ってきたのは20時30分を回ってしまった。明日も9時には現場に入り、4人で何とか半日で仕上げたいと思っている。
テレビ取材の約束が無ければ決して請けてはいけない仕事だった。

お互い様じゃないの!!

明日はいよいよ横浜市中区のごみ屋敷。
すでにテレビ局の人たちによって取材は進行している。
私たちは8時から作業に入りたいのに管理組合が9時にならなければ敷地に入る鎖の鍵を開けてくれない。
肉体労働は朝が勝負。8時からはじめて12時までの4時間は貴重なのだ。
9時から3時間では途中10時の休憩をしてしまうと、幾らも仕事が出来ないのだ。止む終えないので8時に近くの駐車場を探して、4台のトラックを一時保管しておいて、8時から分別ととりまとめを先行しようと思っている。
馬鹿な管理組合の存在は、はなはだ迷惑なものである。

ゴミ事情

相模原市は通常の一般廃棄物(週三回の生ゴミ)は直営で回収していますが、新たに新人の募集はやめてしまったようで、ゆくゆくは外部委託の方向のようです。
資源ごみ、粗大ゴミの回収はすべて外部委託になってしまいました。特定外部委託先6社に対し、法外な支払いをしていたということで市民オンブズマンから槍玉に挙げられたことも。
隣の市、東京都の分の町田市は、資源ごみは収集ポスト方式ですが、生ゴミはすべて個別収集で、しかも直営です。職員は隣から隣へ駆け出しています。佐川急便顔負けで、いつでも再就職できますよ。
私どもは町田市の一般廃棄物収集運搬業の許可もありますが、あまりにも搬入条件が厳しいので新制度になってから一度も捨てに行っていません。ゴミという性質上ある程度のグレーな部分は残しておいて欲しいものです。
確かに搬入されるゴミの量は著しく減少したようですが・・・

ぶんぶく茶釜に毛が生えた

朝一番に昨日やる予定だった市内のお宅の不要品片付けに出向く。
冷蔵庫、冷凍庫、プリンター、碁盤、懐かしいぶら下がり健康器、つい最近流行ったロデオボーイなど盛たくさん。
ご主人が最近癌で他界されたとか。やっぱり癌はつらい病だと、改めて感じた。
午後からは近くの住宅の奥さんから呼ばれ、「ガレージに出してあるものを片付けて!」とのことで、お邪魔した。
ファンヒータ、カラーボックス、茶釜まで有った。
子供のころ、おばあさんに教わって、「ぶんぶく茶釜に毛が生えた。甘いか辛いかなめてみろ!」をやった記憶がよみがえってきた。

男はつらいよ其の2

帰りがけに電話が入った相模原市内の不要品処理の現場へはお昼を食べてから出向いた。夕方若い者をつてれきてやるということでお話がまとまったが、文化祭の片付けの現場から「ゴミが多すぎてパッカー車で急いで現場に来てくれ」とのことであったので、お客さんに電話をし、明日朝に変更していただいた。
夕方再びパッカー車に乗り換え、お花茶屋へ。
息子の話やこずかいさんの話では、今年のゴミは例年と比べようも無いほど多かったらしい。

男はつらいよ!

朝6時前に家を出て栃木県宇都宮へ。東名横浜町田まではすこぶる順調に流れ、ほっとした。首都高もなんとなく流れ、予定時間に楽勝かな?と思っていたら、東北道に入って、ちんたら峠でお馬がほい!?結局4時間かかってしまった。
お客さんは某コンビニエンスストアーチェーンの本部のお兄さん。三年ごとに転勤があり、次の任地は茨城だといっていた。帰りの北関東自動車道、東北道の上りも順調、首都高もまあまあだった。首都高の料金所で上りの車線にうちのトラック2台が渋滞に巻き込まれて停まっていた。午後からのお花茶屋の学校の文化祭の後片付けに行く車である。彼らを横目で見て、東名に入ったが、が東名下りがいけません。ずるずる進んで、料金所を過ぎ我慢出来ずに川崎インターで出て、一般道で帰路へ。
男はつらいよ其の2へ

今年も始まった~~。

毎年ご利用いただいている葛飾区お花茶屋の学校法人の文化祭行事の片付けのシーズンになりました。
今日と明日、二日間で排出されるゴミは2トンパッカー車満載で2台、2トントラック満載で2台になる。学生たちが校舎内でお化け屋敷をはじめとする余興や模擬店に使った段ボール箱、模擬店で販売された飲食物のゴミ、お弁当の空箱等、膨大な量になるのだ。
ところで膨大な量のダンボールはけっして車で学校へ運び入れたのではない。
学生達が近所の商店街から、自力で運び込んだものだ。若いものの根性には敬服する。
午後からパッカー車と平ボディー車の2台を現場に行かせたが、往きも帰りも大渋滞だったとか。
明日も午後、同じ台数を差し向けることになる。
私は朝早く出て、栃木県宇都宮市まで行くことになる。渋滞しないことを祈るばかりだ。

まだまだ続くは!!!???

私は「へ~~。努力家なんですね~~」と、調子を合わせていった。
しかし私に彼女の最近の様子を「そんなの全部嘘だよ」と、教えてくれた方が言うには「あの子が18になったかどうかという頃、高崎かなんかの駅で軟派されて、そのままずるずる今の家へ入り込んだんじゃなかったかな~」と、言われたのだ。
今考えてみると仕事をする前からわけのわからない状態だったわけだから、私自身も反省すべきであったのだ。
そう言っても、相模原からトイレも我慢して高速を飛ばし、群馬の富岡まで出向いて、仕事をせずに戻ってくるのはつらいものがある。
なんとしてでも売り上げにしたいと思うのはあつかましいのだろうか?
現金も無い、カードも無い人は絶対ゴミを溜めたら駄目!!!!

まだまだ続くよの最後

松本なる女性。
ごみ屋敷の片づけを始めしばらくしてから「この部屋は嫁に行った小姑が使っていた部屋で、嫁に出るときゴミをそのままにして出て行ってしまったので、私が片付ける羽目になった」と、言い始めた。しかしゴミの内容を見ると明らかに子持ちの人間が溜めたゴミにしか見えなかった。独身の女のゴミとはぜんぜん違う。しかし当人がそういっているので「そうですか?」と、聞き流した。小姑のゴミなら何も姑に解らないように上がってきてくれとは言わないだろうにと思いながら。
亭主と知り合ったいきさつについては、「私が大学を出て教師をしているとき、暇があるとアルバイトでトラックの運転をしていて偶然北海道に行った時、今の亭主と知り合い所帯を持った」と。
まだまだ続くは!!!???

まだまだ続くよ!!!

数日後、消費者センターから電話があり、「彼女の家を訪ねたところ、彼女が自宅に居たので、話をしましたが、あなたに連絡を取るかどうかは解りませんね」といわれました。
その数日後忌まわしい彼女から電話が入り、「お金が払えなくなってしまったので電話を解約してしまった、15日に生活保護が入るので残金を振り込む」との事。
私が「家族や姑がなくなったという話は真っ赤なうそだったらしいですね」というと、「そんなことはないですよ事実だから・・・」と、その後に及んでもうそ百曼陀羅でした。
彼女の生活条件で生活保護が受けられるのなら、日本中の誰でも生活保護家庭になれるよ。
そして6六ヶ月かけて、やっと残金47500円を勝ち取りました。執念の勝利です。
何回かお金が取れないケースがあり、そのすべてが女性でした。女は怖い!!
現場は凄い悪臭と、鼠糞で埋め尽くされた劣悪の条件だったんだよ!